これまでの経歴


これまで自分は6度転職をしてきた。即ち、会社を6社経験した来たわけだ。

それぞれ業種は異なるが、一貫していえる共通点は、接客業、対面営業、販売業であったことだ。それが向いているかどうかは未だにわからない。好きであるかといえば、そうでもない。

ただ、自分自身に突き抜けた技術や揺ぎ無い自信を持てるものが無かったから、営業職を選んできた、というのが本音だ。何をやってきたのか、振り返ってみる。選んだ動機、学びを得た点、感想の3つを挙げながら振り返る。

まず社会人1年目に就いた「家具の大正堂」。本命のNOVAに最終面接で落とされ、他に魅力のある会社もなく、大学の卒論の追い込みも重なっており就活に集中できない時期だった。当時住んでいた自宅の近くに本社と店舗がある為、というのが大きな動機だった。
ここで得たものは、長く続く人脈が最も大きい。途中付き合う形を変えながらも未だに続いている人が多い。中でも最も付き合いが深い人物もいる。また、尊敬できる先輩方との出会い、サーフィン、スノボーなど未体験のスポーツに入れ込めたことが大きな財産だ。

次に移った会社は当時最も興味の薄い、ブライダル業界。「ブライダルヒロセ」には、姉貴からの紹介を受けた広瀬社長の直接のお誘いを受けた。
婚礼産業という異空間に入ったことより、自己啓発の営業研修に参加させて頂いたり、重要文化財で都と仕事を進めたり、普段会えることのない煌びやかな世界の人たちと交流を持てたりと、外部での刺激が多かった。しかし結局は廃業することになる。

収入的に厳しかったこの頃、大正堂時代に知り合った同郷の先輩からのお誘いでベッドメーカー「アイシン精機」転職する。
ベッドメーカーといいながら、母体はトヨタ系列の自動車部品製造でバリバリの一部上場企業。10年以上在籍する。とにかく収入が安定した。まとまったボーナスを年2回もらえたのもこの会社に居た時。貯蓄も大きくなった。
在籍した家具の大正堂をメーカーとして担当し、他ベッドメーカー営業も交流を深め、内部よりも外部の人脈とつながっていた。嫁と出会ったのも、他ベッドメーカー営業との合コンだった。ここではとにかく営業を楽しんだ。

ベッド事業部が廃止になる事を察知し、転居を伴う異動をするぐらいならと移ったのは、住宅販売「住宅情報館」。とにかく不動産の雑務が難しった。役所への調査、案内の準備、資金計画書の作成、契約の準備となかなか一人では完全にこなせない事が多かった。その代わり契約締結時の手当ては大きく、収入は多少安定していた。ここを紹介してくれたのは、大正堂時代の先輩の友人だった。

長く続けることに不安を覚え、次は売るのではなく。買取営業「マックガイ」へとすすんだ。それこそ、着物、ブランド物、貴金属、骨董と全く身近にないものを買い取る営業。長くは続かなかったが、お客様満足度出張買取部門1位を2回取れたことは嬉しかった。

そして地元町田で働きたく選んだのが今の「まくらぼ」。イケイケの販売会社で、まあ、想像と違っていた。研修、監視と続く締め付けに嫌気が差し、このことがアフェリエイトを始めるきっかけとなっている。





Copyright © アフェリ前の日記4All Rights Reserved.